新潟県中越地震 について
被災地の皆さんは大変な日々をお過ごしのことと思います。
かく言う私戦國も、遡ること約10年、あの阪神大震災を経験した者であり、テレビから伝えられる映像を直視出来ない状態です。
そう、あの時を思い出します・・・
地震の直撃は受けなかったというものの、今回の新潟と同じく震度6強の地震に襲われた神戸市の周辺地域に住む戦國はただならぬ縦揺れに目を覚ましました。その数秒後強烈な横揺れ。瞬時の出来事に何が起こったのかハッキリしないまま、上から落ちてくるもなから身を守るべく咄嗟に布団に潜り込みました。
数分続いたかのように思えた強烈な揺れの後、布団からはい出すと、布団の上には本やパソコンのプリンタ、電気製品の段ボール等が散乱。隣の部屋で寝ていた妹の「助けて」の声が聞こえます・・・
電気は停電・・・しかし、前夜寝落ちしたのかノートパソコンの画面の明かりを頼りにライターを探り当て、そのかすかな明かりを頼りに隣の部屋へ・・・
妹は衣装ケースの下敷きになって身動きがとれないらしく、布団の中で大泣き・・・どこからそんな力が出たのか不思議ですが、タンスをはね除け妹救出、ま、大きな怪我もなく救出成功。ライターの灯で隣の部屋に移動する際、屋根から落ちた照明器具のガラスで足の裏を切ってしまい足の裏がヌルヌル・・・階下から大丈夫かの両親の声・・・
暗い中不用意に移動するとまた怪我をすると思い、懐中電灯探しにそれまでの二階から両親の居る1階に降りる・・・早朝とはいえ出勤の準備をしていた両親のいた居間は食器が散乱、冷蔵庫が倒れひどい有様、両親はすでに懐中電灯を手にして何とか状況が判りました。
その懐中電灯を取り、妹を階下におろすべくスリッパを履いて二階へ、妹のスリッパを渡して何とか家族全員一階居間に集合・・・・傷の痛みも忘れて・・・
次ぎにとった行動は情報収集。ラジオから放送は流れているんですが、震源は淡路。滋賀県でも被害とバタバタした情報しか入ってこない。この時神戸は地獄の状態だったんですがライフラインがたたれ状況が発信できなかったんですね・・・
そう言えば車にテレビと思い、表に出るとすでにご近所さんが表に出てました・・・
簡単な安否の確認の後テレビを見るも中継基地局も停電したのか全くテレビが映らない。地上波が駄目なら衛星だと車のインバーターにコードリールを付けようと取りに行こうとしたら道が何故かしら濡れている・・・よく見ると水道管が破裂したみたいで少し離れたアスファルトの割れ目から水があふれている・・・
家族に、水がすぐ止まるぞとくみ置きを指示してコードリールでとった電源を家の衛星放送が受信できるテレビにつなぎNHKを見ました・・・
この時点で空が白み始めたんですが、淡路島周辺と大阪以東の情報しか放送されていない・・・まだこの時点では神戸の惨状がメディアに把握されていなかったのです・・・
今日はここまで
また、明日続き書きますね
今日の時点では新潟に生命に危険が及びかねない最低限の物資は入ったと見ています。現在求められているのは水。明日以降書きますが、この後仕事場と親戚の世話で5月下旬まで神戸市内に住むことになるんですが何が大変だったかと言うと水がないことでした。逆を言えば水さえあればかなりの苦労が無かったと言っても過言ではありません。
今の報道では最大被害地ばかりに目が行きがちですが、避難所はそれなりの物資や情報が自然と集まるところ、もちろん避難所の方も苦労が多いと思いますが、現実は自宅の家財等が心配なため大多数を占める半壊以下の被災者は自宅もしくは周辺で今も物資の補給もままならない状態でがんばっています。
日常的な保存食が手元にまだある今。数量的に一番求められているのは給水車とポリタン、あと、熱源用の燃料とトイレでしょうね。
因みに阪神大震災の場合ライフラインの復旧は
電気→電話→ガス&上水道の順番でした。
新潟の場合の復旧ポイントはプロパンガスが一般的なら上水道と道路でしょうね。井戸等の水源やくみ取りトイレがある場合やはかなり条件的に有利と言えるでしょう。
posted by 戦國ポラール at 23:48| 兵庫 ☁|
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